2017年12月28日

時間よ止まれいのちのめまいの中で

お世話になっております、おじさんです。

今朝も快晴。
富士山はおろか、目を凝らすとはるか出羽三山までが。

昨日、歩きながらちょっと考えたことがあります。
「時間」とは。
この存在、考え方というのはいつからあるのか、そしてどうやって確立したのか。
時が「過ぎる」ということに万物が抗えない。
バベルの塔ができた紀元前数千年前にはこの概念ができたらしいですね。
彼らが「よし、一日を24時間にしよう」とした。
社会の時間に習いました。
でもそのころの日本はまた狩猟に頼ったその日暮らしみたいな生活。
でもだからといって、一日は24時間という考えを持っていなかったのかそれはわからない。
文字などが残っていないだけで、そういう考えは縄文人も持ってたかもしれない。
同じ地球に住む人間が、方や「24時間を分けて1時間、1分とかに区切れば便利じゃね?」と考え、
方や「もう一度あそこに太陽が来たら1日かな?」なんて、そんな差があるものなのか。
差があったのだろうな、とも思うけど。
イタリアで今の食文化の原型ができてた時、日本はまだその欠片程度しかなかったんだし。
地域に差があったんだろな、と。
でもそれ、時間の概念がその後、3000年くらい?もの長い間、ずっと変わらない、他のものに代わらないってのがおじさんの不思議に思ってることなんですよ。
だれかが「ねぇ時間って考え古くね?」とか言い出さない。
こんな長い間、全人類が1日は24時間って考えて疑わない(※ほんの些細な変更はあるけど)。
これは1日は24時間、1時間は60分っていうのが最初から正しかったってことなのでしょうか?

おじさんは昔から、なんかこれはおかしいんじゃないかって思ってるんですよ。
本当は、時間ってのは形がなくてグニャグニャしてるものなんじゃないか、と。
すると時計は??って話になる。
あれはただの「目安」に過ぎない。
あれが本当の時間なんかじゃないんです。
人と話をしたりするとき、その時に必要な物差しにしか過ぎないのではないかと。

キリがないからここで終わり。
店の全員がバテてしまっています。
でも元気だなぁ、みんな。
おじさんも頑張ります。
では!

 








posted by レ・サルデ at 09:32| 営業日記