2016年01月31日

書くのもムダだけど読むのもムダ

おはようございます、おじさんです。

今朝、家を出た瞬間、異様な雰囲気を感じました。
空気が1ミリたりとも動いていない、これぞ真の無風である。
そんな感じでした。

昨夜は帰宅してからサッカーの中継を少し。
TVをつけたときにはもう後半戦でした。
あーあ、日本負けてるよ。
あ、また入れられた!
2-0かよもうダメだなこりゃ、寝よう。
で、朝起きて急いで携帯で結果を見ると、なんと逆転勝ちしたらしいじゃないの。
なんだよ、それだっら最後まで観ればよかったなぁ。

これを書いててワレに返ったけど、こんなことを書いて一体ナニになるというのだろうか。
急に冷静になって悪いんだけど。
おじさんが家に帰って観たサッカーの話なぞ、一体誰が知りたいのか。
知りたい人なんか居ないであろう。
いや、むしろ知りたくないとか。
そもそもどうしてこんなことを毎朝書いているのか。
昨日も書いたけど、今朝も書いた。
明日も明後日も書くのか。
いつまで書くのか。
終わりはいつなのか。

哲学の単位を落としたおじさんにはこんなことをいくら考えてもムダ。
月末になるとこういう思考になる脳みそ。
さぁもういいから手を動かそう。
それではよい日曜日をお過ごしください。
よろしくお願いいたします。
では!

 
posted by レ・サルデ at 08:45| 営業日記

2016年01月30日

マイナス金利だってさ

おはようございます、おじさんです。

雨ですね。
ナンダカンダ言われていながらも、結局は積もるどころか降りもせず。
売れると思って仕入れたスコップ10,000個。
これどうしよう。。。
危なくそんな心配をするところでした。
仕入れなくてよかった。

さて。
例の認知症の母親を殺してしまった例の話。
後日談があったようです。
執行猶予後の息子は滋賀県草津市で働いていたそうです。
仕事ぶりはまじめで、でも誰とも話をすることもなく友人などもいなかったらしい。
8年後の昨年夏に琵琶湖で遺体となって見つかった。
アパートの部屋には遺書らしきメモ書きがあって、「一緒に焼いて欲しい」とへその緒が置いてあったとのこと。
なんとも言えない事件ですなぁ。

こんな天気だと湿っぽくなってイカン。
では。
今朝の新聞の一面はマイナス金利。
日銀にお金を預けると金利を「取られて」しまう!
預けるお金のないおじさんは関係ないし、普通の人も日銀にお金を預けないから関係ないですけど。
でもこれってお金を借りやすくなるって事ですかね??
銀行が日銀にお金を預けると損する。
マイナス金利なんだから。
すると銀行さんの思考はこうだ。
「えーマジかよ、じゃあ預けるのヤメるか」
でも手元にこんな大量のお金どうするんだ。
じゃあ貧乏な人にお金を貸して少しでも利息取ったほうが儲かるんでね?
銀行さんはそう考えるのかも。

でもそんな簡単に市場にお金が流出するかなぁ?
結局まーたどこか上流の方で溜まるだけなんじゃないかなぁ。
今、大型のタンスを買ったら銀行さんが買ってくれるかも(笑)
タンス預金専用の厳重なタンスを製造。

さ、今日も頑張っていきましょう。
よい週末をお過ごしくださいね!
では!





posted by レ・サルデ at 09:00| 営業日記

2016年01月29日

無理心中

おはようございます、おじさんです。

朝7時現在、幸区はポツポツしています。
完全にアウトです。
あーあ。

こんな憂鬱な気分の時にはナニ書いてもロクな事ないので文章の専門家の力をお借りすることにします。
あの京都で起きた認知症の母親と無理心中しようとした事件です。
今日読むにはあつらえ向きかと。

*****
(前略)
母親の認知症は2005年4月頃から症状が悪化し、おにぎりの包み紙を食べたり、
「キツネがいる」と言って天井を叩いたりした。
真夜中に外出しようとしたり、康晴が仕事に行っているあいだに徘徊して警察に保護されたりしたことも2度あった。
昼夜逆転の生活になっているため、母親は真夜中の15分おきに起き出し、康晴も疲れ始めていた。
そんなことがあってか、夏ごろには介護保険を申請し、アパートの近くの施設でデイケアサービスを受け始めたが、昼夜逆転の生活は戻らなかった。
康晴は献身に介護し、7月頃には仕事を休職している。
9月頃、工場勤めをしながらの介護に限界を感じた康晴は仕事を辞め、自宅で介護しながらできる仕事を探したが見つからなかった。
12月には失業保険の給付もストップしている。区役所にもすでに3度相談していた康晴だったが、良いアドバイスは得られなかった。
「生活が持ち直せるしばらくの間だけでも生活保護を受給できないか」と相談したこともあったが、
「あなたはまだ働けるから」と断られている。
(事件後、康晴は唯一この社会福祉事務所の担当者にだけは恨み事を述べた)
同じ頃、カードローンの借入も25万の限度額になった。
生活費に窮するようになった康晴は、自分の食事を2日に1回にし、母親の食事を優先した。
こういった苦しい状態になると、人は普通親類なり友人なりに頼るものである。
しかし康晴はそうはしなかった。康晴の心にはいつまでも父親が生前言っていた言葉が去来していたからだ。
「人に金を借りに行くくらいやったら、自分の生活をきりつめたらいいのや」
「他人に迷惑をかけたらあかん」
「返せるあてのない金は借りたらあかん」

2006年1月31日、この日までに払わなくてはならないアパートの家賃3万円はどこにもなかった。
手持ちの現金はわずか7000円ほど。
康晴は親族に相談することもなく、自分たちに残された道は「死ぬこと」しかないと思った。

康晴は自宅アパートをきれいに掃除をして、親族と大家宛ての遺書と印鑑をテーブルに置いた。
その間、康晴は何度も母親に「明日で終わりなんやで」と話しかけている。
最後の食事はコンビニで買ってきたパンとジュース。
電気のブレーカを落とすと、康晴はリュックサックに死ぬためのロープ、出刃包丁、
折りたたみナイフを詰めて、車いすの母と2人アパートを出た。

2人が向かったのは、三条の繁華街だった。
康晴がどこに行きたいかと尋ねて、母親が「人の多い賑やかなところがいいなあ」と答えたからだった。
1人300円の運賃を払って淀駅から京阪電車に乗り、三条京阪駅に着いた。

駅を出ると鴨川が流れている。
2人はしばらくこの川のそばで時間をつぶしている。
やがてにぎやかな新京極通りをに向かった。
この通りの入口にそば屋がある。
康晴がまだ子どもの頃、親子3人で食事をしたことのある店だった。
しかし手持ちの金が多くないため、食事はしなかった。
夜、母子は伏見にいた。
もう戻ることのできないアパートの近く、桂川の河川敷。
次にどこへ行きたいかと聞かれて、母親が「家の近くがええな」と言ったからである。
午後10時のことだった。
 
2月1日。厳しい冷え込み。
康晴は車椅子の母に防寒具をかけてやった。
それから何時間か過ぎた。
「もうお金もない。もう生きられへんのやで。これで終わりやで」
康晴は泣きながら目を覚ましたばかりの母に語りかけた。
母親は「すまんな」「ごめんよ」と泣きじゃくる息子の頭を撫で、「泣かなくていい」と言った。
「そうか、もうアカンか、康晴。一緒やで。お前と一緒やで」 
「こっち来い。こっち来い」
母に呼ばれた康晴が近づいたところ、額がぶつかった。
「康晴はわしの子や。わしの子やで。(お前が死ねないのなら)わしがやったる」
その母の言葉に康晴は「自分がやらなければ・・・・」と思った。
そして意を決し、車いすのうしろにまわってタオルで母親の首を絞めた。
絞め続けた後、苦しませたくないために首をナイフで切った。
康晴は遺体に毛布をかけた後、包丁と折りたたみナイフで自分の首、腕、腹を切りつけ、
近くにあったクスノキの枝にロープをかけ首を吊ろうとしたが失敗した。
「土に帰りたい」と走り書きしたノートの入ったリュックサックを抱いて、
冷たい雨の降るなか虚ろな表情で佇んでいた。

通行人によって2人が発見されるのは午前8時ごろのことである。

*****

冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、
刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

励ましの言葉
「痛ましく悲しい事件だった。
今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないよう、
母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」

裁判官が最後にこう語りかけると「ありがとうございました」と頭を下げた被告。
判決後、弁護士に「温情ある判決をいただき感謝しています。
なるべく早く仕事を探して、母の冥福を祈りたい」と語ったという。

*****

さ、仕事しますか。
では!
posted by レ・サルデ at 07:39| 営業日記